「もの」と「こと」
一
吾々の間ではよく「もの」と「こと」との問題が出る。凡ての吾々の意向
は、「もの」が「こと」よりも一層本質的なものだという真理を明らかにし
たいのである。何も「こと」が無意義だというのではなく、「もの」が一層
根本的だという意味である。だから「もの」への理解なくして「こと」を云
云しても、問題を二義的なものに終わらせて了う。見逃してならないのは
「こと」よりも「もの」である。「もの」を解せずして、「こと」に詳しく
とも、意味が淡い。だが凡ての世界に亙ってこの弊害は大きい。
二
ここで「もの」というのは、必ずしも「品物」という意味に限らず、「具
体的なもの」という意に解してよい。人間も活きた「もの」であり、歴史も
動きつつある「もの」に外ならない。只そういう「具体的なもの」の実例と
して品物が一番手近なものであるのは言うを俟たない。「こと」は之に対し
て「抽象的な事柄」の意になる。多くの観察者を見ると、不思議なくらい
「こと」に引かれていて、「もの」の方面を見ない。少くとも「もの」への
洞察者は、稀の稀なのである。或は今の時代がそのことを許しにくいのかと
思える。例証を挙げてこの興味深い問題を考えて行こう。
三
哲学の学者と哲学者とは違う。根本的に違う。併しこのけじめが今はつか
なくなっているのではあるまいか。哲学者とは宇宙なり人生なりの「事実」
をまともに洞察する人をいう。謂はばそれ等の「具体的事実」への深い理解
者をいう。自然や人間を活けるものとして見つめることを忘れない。然るに
哲学の学者は、宇宙、人生に関する色々な思想を対象とする。謂はば抽象的
な事柄に心を惹かれる。だから哲学の学説に通じるのが仕事になる。人生と
いう活きた「もの」を見るより、人生に関してどんな学説があるかという
「こと」に注意を向ける。両面とも分かっていれば申し分ないが、実際には
人生そのものに就いては分からずに、人生に関する学説に就いて詳しいとい
うような矛盾が起る。哲学の学者としては卓越しているが、哲学者としては
貧弱だというような不思議なことが起る。だがプラトンは哲学の学者である
よりも、先づ哲学者ではなかったか。彼の哲学は哲学者たる彼の所産で、単
なる学説への考察ではなかったのである。彼も当時の哲学に通じていた意味
で哲学の学者であったろうが、それよりも先づ哲学者であった。この場合誰
だって前者より後者の方が、もっと本質的なものを理解する人だということ
を疑うまい。人生という活きた具体的な「もの」への理解者は、人生に関す
る抽象的な「こと」への学者よりも、もっと尊い。だが今の時代に哲学の学
者は多いが、哲学者はどれだけいるであろうか。
四
更に之を道徳家と倫理学者との比較に移したら一層はっきりするであろう。
一方は行う人と見られ、一方は考える人と云われる。前者は日々活きた生活
の事実と交わりを有つ人であり、一方は人間の行為に関する学説を抽象的に
取扱う人である。併し両者は、元来密接な関係があるべき筈である。共に善
の世界に心を注ぐからである。それ故道徳的な倫理学者は最も必然さがある。
併し不道徳な倫理学者があり得るという悲劇をどうしたものであろうか。そ
うして倫理学者が道徳的であるならば、彼の学説には先づ道徳家として権威
が出るであろう。カントの倫理学説の力は、彼が先づ道徳的な性格の持ち主
であったことから湧き出たのである。(之に比べると彼の宗教論はずっと弱
い。それは信仰を観念的に取り扱ったに止まって、それが活きたものとして
彼の血の中に流れていなかったからである)。残念乍ら今の多くの倫理学書
には、指導力が乏しい。裏に濃い道徳性が欠けているからである。それ故叙
述が「こと」に終わって了うのである。それでも存在の理由はあろうが、本
質的な価値に乏しい。近頃の倫理学書からは知識は受けても感銘は受けない。
活きた人生に触れたものが少く、それを只抽象的に取り扱っているからでは
ないのか。たとえ非常に手際よく賢く取り扱ってあったとしても、それは寧
ろ知的技巧で、真の理解とは云い難いであろう。倫理学というからには学問
であってよいが、この学問には道徳的根がどうしても必要だと思える。この
根は学問だけでは有てぬ。否、この根があってこそ、ほんとうの学問になる
のである。道徳家と倫理学者との分離は、悦ぶべき現象ではない。之は「も
の」と「こと」との隔離なのである。
五
又文学の領域を観察するとしよう。文学の流派、その主張・技巧、又は時
代・作者等に詳しくとも、必ずしも文学の正しい理解とはならぬ。文学その
ものを見るのと、文学に関する周囲の色々な事柄を知るのとは互いに性質が
違う。一方は内に入って見ることであり、他方は外からの観察である。前者
は「もの」に触れ、後者は「こと」に関わるのである。この場合前者の方が、
文学に対してもっと本質的な理解を与えることは論を俟たない。外から「こ
と」を観察するのも、観察の一要素とはなるが、最も本格的な観察とはなり
難い。併し今の文学論で、ぢかに「もの」としての文学を見ている場合がど
れだけあろうか。恐らく寥々たる存在に過ぎぬであろう。多くは活きた「も
の」を見ず、之を「こと」に変えて観察して了う。だから文学に関する事柄
を云々する人は多いが、文学そのものを味わい得る批評家が少ない。論ずる
人と解る人とは区別してよい。知る人と感ずる人とは同一ではない。「こと」
と「もの」とその何れに関与するかで、かかる区別が出来て来るのである。
シェークスピアの英語に、如何に堪能な語学者でも、それだけでは文学者と
しての彼への理解とはならぬ。
六
歴史家の仕事になると例は枚挙に遑ないであろう。凡ての歴史家が歴史へ
の真の理解者だとは云えぬ。単なる史学者に止まる者がいるからである。ど
うしてこんな区別が出来るのか。歴史そのものの意味を掴むことと、歴史を
只事柄として記述することとの相違に帰しはしまいか。「もの」を了解する
人と、「こと」を記述する人とは違う。前者の仕事を見ると、歴史が寧ろ正
しい見方によって再生している観がある。謂はば創作の域に達していると云っ
てよかろう。歴史家あっての歴史になる。そういう歴史にして始めて権威が
出るのである。然るに一般の見方からすると、歴史は客観的でなければなら
ないという意味から、あらゆる資料、文献を細大洩らさず集め、それ等に依っ
て歴史を描き出そうとする。だから「こと」を詳しく知るそのことが、歴史
家の仕事になってくる。併し詳しく知ることと、正しく識ることは必ずしも
同一ではない。無数の材料にはよき取捨選択がなければならない。選択力は
蒐集力よりもっと本質的に大事である。何でも材料であるかも知れぬが、中
で何が大切な材料だかを決める者はなにか。歴史そのものへの見方がなけれ
ば標準がつかない。この場合、歴史を具体的な「もの」として見るのと、之
を単に「こと」として見るのとは非常に違う。一方は動く歴史を見、一方は
止まる歴史を見ているとも云える。文献的な細々とした材料に如何に富んで
も、それが直ちに正当な歴史とはならぬ。それは寧ろ材料の提供であって、
歴史的批判ではない。優れた歴史は優れた見方の所産であって、詳しい記述
の産物ではない。内容を決定するものは材料の多寡よりもその質の上下にか
かる。この意味で材料は寧ろ歴史家の創作に外ならぬとも云える。歴史の真
相はこの力なくしては現れてこない。ここでも歴史の学者は多く、歴史家は
少ないという嘆嗟を繰り返さねばならない。
七
私は一人の熱心な基督教徒を知っている。彼は彼の郷土に対する並々なら
ぬ愛から、その土地の農民に副業を与えることを発願した。彼が選んだのは
手工芸である。彼は奔走して製作させ販売させた。この仕事が疲弊しがちな
農村の経済を潤す慈雨であるのは言うを俟たない。併し彼が情熱を持ったの
は何なのか。副業に手工芸を授けるという「こと」であって、出来上がる
「もの」ではない。「もの」は何なりと、仕事になりさえすればよかったの
である。その結果はどうか。彼はつまらぬもの、醜いもの、作らすべきでな
いものを無数に作らせたのである。仕事になったということで成功かも知れ
ぬが、誤った品物を世に流布せしめたということに彼は責任を負はないでよ
いであろうか。この大きな矛盾は「こと」にのみ心を惹かれて「もの」を省
みない誤謬から来たのである。正しい人間、美しい心を作ることに努力する
牧師が、不正な醜い品物を販売せしめる仲立ちとなるとは如何に愚かなこと
であろう。彼が若し「もの」に対して正しい認識をもっていたら、素晴らし
い仕事を成し得たであろう。残念なことに彼は誤った仕事を、熱情を以て奨
励しているのである。彼がよく引用する「彼等は何を為しつつあるかを知ら
ざる也」というイエスの嘆声は、寧ろ彼自らの上に放つべきものではないで
あろうか。
八
茶道は日本の産んだ大きな芸術の一つに数えてよい。恐らく「もの」を中
軸とした芸道として、類例の稀なものだと云えよう。茶道は生活と器物とを
結ぶ道であって、生活の中に如何にして具体的な品物を溶かすか、又はどう
したら生活で品物を味わうことが出来るか、謂はば物を介する美の生活化と
も云える。だから茶人は茶器を尊ぶ。美しい茶器があって、茶道が起こった
とも云える。美しさを「見るもの」から更に「使うもの」に移したのが茶道
だとも云える。物に始終することは茶道の大きな特色である。だから物を見
る眼は茶人に於いて特に輝いたのである。物をぢかに見得た茶人の功績は大
きい。
然るに茶道の現在はどうであろうか。依然として茶器は茶生活の中心では
ある。併し今の茶人達は果たして物を見ているであろうか、見得ているであ
ろうか。私は不幸にして怖れるほどの眼の茶人に出逢ったためしがないので
ある。彼等は茶器の上下を見分ける自由な力を有っていない。型からのみ見
て了うからである。だから醜いものと美しいものとを共に讃えたりする。否、
その用いているものの中にはきっと見るに堪えない品物が交る。どうしてこ
んな矛盾が白昼横行するのであろうか。凡ての原因は「もの」を見ることを
忘れて、「こと」から見るに至ったからである。
例えばここに「大名物」があったとする。「大名物」という称号を受ける
ほどのもの故、美しさがあるのは当然である。だが初期の茶人達は彼等を
「もの」としてぢかに愛したのである。だが今の茶人達は「大名物」である
という「こと」で感心するのである。だから若し「大名物」という尊称がな
かったら、殆ど見向きもしないであろう。(この世に数多くの無名な名品が
匿れているが、現に茶人達はそんなものを取り上げはしない。取り上げるだ
けの眼識がないからである)。彼等が用いる茶器は何なのか、所謂茶器とし
ての法則に適っている「こと」から選ぶのである。茶人を以て任ずる人を省
みると、かかる「こと」に詳しいのが自慢である。それを細々と知っている
ほど得意である。併しそれは「事柄」への興味で、「物」そのものを見るこ
ととは違う。今の茶人が堕落して了ったのは、寧ろ茶事に巧者であることに
よる。それは丁度歴史家が、史料に詳しいことを以て歴史家だと自任する愚
に等しい。茶事に巧者になるということは余程の魅力であり、誘惑であると
見える。だから器物を見る場合、銘とか由緒とか法式とかをやかましく云っ
て肝腎の物そのものを見ない。否、見えないので、一定の概念で見方を組み
立てようとするのである。だから彼等に茶器を選ばせたら惨めである。使っ
ているものに見るに堪えぬものがあるのは、当然の結果である。「こと」へ
の興味に煩わされて、「もの」が見えないまでに盲目になっているのである。
茶事に巧者な人は一番このことを用心してよい。見方が形に滞って了うから
である。真に「もの」が見えたら、その眼から新しい茶器が今も尚活々と創
造されることであろう。茶道は無限の創作へ進まねばならぬ。偉大な初期の
茶人達は皆かかる創作家であった。「こと」から「茶」を建てたのではなく、
「もの」にぢかに交わって「茶」を起こしたのである。
九
私は又異なる例を挙げよう。この世に蒐集家と呼ばれている人は多い。併
し有体に云って全幅的に頭の下がる蒐集に出逢ったためしがない。中には実
に珍妙なのがある。例えば猫に因んだものなら何なりと集める人がある。そ
ういう蒐集はどうあっても価値の大きなものとはならない。なぜなのか。猫
を現したものだという「こと」に興味が集注されて、それがどんな品物であ
るかは問はなくなるからである。だから二目と見られぬようなくだらぬもの
まで集める。質よりも量なのだから、特に珍らしい品に随喜して了う。併し
それは珍しい「こと」への興味で、それが美しい「もの」か醜い「もの」か
は別に問はない。美しいものが中にあれば、それは只偶然にあるというに過
ぎない。そういう蒐集は質的に選練される見込みはない。
併しこんな愚かな蒐集を例に挙げる要はないかも知れぬ。もっと進んだ所
謂「美術品」の蒐集に就いて一言する方がよい。忌憚なく云って、真に質の
よい美術品の蒐集がこの世にどれだけあるのであろうか。筋の通った蒐集が
少ないのは、やはり集める「こと」、自分のものにする「こと」、自慢する
「こと」等に余計魅力があるからなのであろう。而も標準は大概、有名なも
のである「こと」、時には高価なものである「こと」でさえある。「もの」
を見るより、「こと」で購う。「物」をぢかに見ているなら、集める物に筋
が通る筈である。いつも玉石が混合して了うのは、蒐集する「こと」が先だっ
て了うからだと思える。慾が先故、眼が曇るのだとも云える。蒐集家には明
るい人が少なく、何かいやな性質がつきまとう。併し「もの」に真の喜びが
あったら、明るくなる筈である。悦びを人と共に分かつことが多くなる筈で
ある。蒐集家は「こと」への犠牲になってはいけない。「もの」へのよき選
択者であり創作家でなければいけない。蒐集家には不思議なくらい、正しく
選ぶ人が少ない。
十
近頃土俗学、民俗学が非常に盛んになって来たことは、全体として悦ぶべ
き傾向だと思う。併し非常に警戒を要する点があろう。この学問はとかく
「こと」に堕し易く、「もの」を忘れがちな所があるからである。未知の材
料の蒐集に憂き身をやつして、土民の活きた生活相を忘れる危険がある。例
えば農民の信仰を例にとるとしよう。色々土俗的な信仰の行事は吾々に魅力
ある題材ではあるが、形に現れたそれ等の祭りごと等よりも、その奥にある
活きた信仰生活、彼等の心の暮しそのものが根本である。行事はその暮しの
外面的な表現に過ぎない。私達は単に「こと」からだけで彼等の行事を見て
はならない。土俗がまだ活々している地方は、暮しもそれだけの力があると
解してよい。活きた暮しそのものを識ることなくしては、民俗学も死学に終
わる。(この点で北国の農民から現在の我々が学ぶべきものは非常に多い。
後れている北国などとは夢にも云えぬ。)
民俗学に関する本は既に数多く出たが、驚くべきことには、農民の作り出
した品物(工芸品)への考察は殆どない。之に反し祭事や伝説等に関するも
のは比較出来ないほどに多い。なぜこんなにも偏頗な現象が起こるのである
か。「もの」を見る人が少なくなった証拠であろう。行事や口碑等は「こと」
として扱うことが出来るからである。神楽に例をとるとしよう。いつも事柄
の叙述は詳しいが、活きた踊りの所作、纒う衣装、用いる道具の形、それ等
の紋様、更にそれ等の品物の有つ美しさに就いて述べたものは殆どない。
「もの」の価値はいつも等閑にされがちである。
ここに民具を主題にした書物があったとしよう。器具は「もの」に属する
から、是こそ品物への考察を意味すると誰も思うであろう。併し不思議にも
そうではない。「物」への考察というよりも「民具たること」への興味に殆
ど始終しているのである。だから民具であればどんな民具でもよい。その材
料は寧ろ量や種を要求するのであって、質にはさしたる関係はない。研究は
「もの」への考察というよりも、「こと」への記述である。それも大切な調
査ではあろう。併し本質的問題を欠く憾みが多い。
例えばここに鎌を主題とした研究があったとしよう。その分布、形態、種
類、特色を明らかにし、進んでは、如何なる材料、形態のものが労働に対し
て最も効果的であり、合理的であるかの結論までが帰納されているとしよう。
そういう著作に、少なからぬ意味があることは云うまでもない。併しそれは
寧ろ「鎌たること」への考察であって、「もの」としての鎌に就いて触れる
所が少ない。だから工芸品としての美的価値に就いては殆ど論じる所がない
であろう。併し合理的なものが、同時に美的でないなら、かかる合理性は最
後のものとは云えないであろう。吾々は吾々の理念から美しさという性質を
放棄してはならない。理論的な正しさは、具体的な美しさと結合されねばな
らない。合理的なる「こと」は、美しい「もの」に高まって、始めてその合
理性を完うすることが出来る。考察者は鎌が何よりも先づ「もの」であるこ
とを忘れてはならない。
十一
併し「もの」を対象とする美術史家といえども、等しい誤謬を犯さなかっ
た場合が、どれだけあろうか。彼等の見方の多くは理知的であり抽象的であ
る。「もの」をぢかに見、まともに見て批判する者は少ない。多くは落款と
か、系統とか、作風とか、概念的な物指で判じて了う。知って後に見る道を
選んで了う。併し知るよりも先づ見ない者に、どうして美への正しい理解が
有てるであろうか。「知る」は「こと」に属し、「見る」は「もの」に属す
る。知ることで美術史を眺めても、美術史にはならぬ。美術史は「もの」の
歴史に外ならないからである。「もの」の認識には知識は補助であってよい。
直観が主体でなければならぬ。
美術史はまだ観念的な要素があるとしても、転じて工芸に至れば、更に具
体的な現実に触れる。ここでは「もの」をぢかに見るべきであるのみならず、
更に生活で味わうまでに至らねばならぬ。「見る」ことから「使う」ことへ
深まらずば、充分に見ることすら出来ぬ。まして「知る」に止まっては、そ
の価値を理解することは出来ぬ。茶道はこのことを教える道ではなかったろ
うか。
例えば仁清を尊ぶ場合を考える。それは殆ど凡ての場合有名な仁清という
名を尊んでいるのであって、物を見ているのではない。名は「こと」に属す
る。だから「もの」は寧ろ見棄てられてくるのである。だが物を先づ見る者
が出たら、彼への批判は改まるであろう。歴史を正しく書くために、もう一
度ぢかに物を見ることから出発せねばならぬ。名に滞って物を見てはならぬ。
在銘を悦ぶのは、ぢかに物を見る眼がないからとも云える。真に物を見る者
が出たら、無名なものが無数に甦るであろう。「大名物」を選び出した茶人
達は、有名だから選んだのではない。物をぢかに見れば、あの名をなす「織
部」や「志野」にさえ、どれだけ救われるものが残るであろう。「織部」だ
から尊ぶとか、「志野」だから悦ぶとかいうことは、全く「こと」で見てい
るのである。名に迷わされた物に、美しいものは驚くほど少ない。それは寧
ろ「こと」から作られた品物に過ぎないからである。日本の工芸品に見られ
る弱点は、製作までが「こと」に犯されている点である。型から作ってゆく
茶器にこの弊害は殊に多い。
十二
ここで私達は一つの結論に近づいてくる。ものの見方には、又は作り方に
さえ、「こと」から入るのと、「もの」から入るのとある。一方は間接的で
一方は直接的である。間接なものは知識を通し、直接なものは直観を求める。
この両者は相助けてよい。併し主従の位置は転倒されてはならない。「こと」
を知る道はどこまでも従であってよく、「もの」を見る道が主とならねばな
らない。前者は補助としての理解であり、後者が主要な認識でなければなら
ない。だから「もの」への正しい理解に基かないなら、「こと」への知識も
不充分であると云ってよい。「もの」への洞察は本質的なものに触れる、
「こと」への知識は如何に詳しくとも外形的理解に終わる。それ故「もの」
から「こと」へ進むべきである。「こと」は決して「もの」を生む力とはな
らない。「こと」だけの理解は全き理解とはならぬ。「もの」はどこまでも
質の問題に関わる。私達をして価値問題に到らしめるものは「もの」である。
「もの」への認識が如何に重要であるかは、それが価値の領域に吾々を触れ
しめるからである。価値への認識は「もの」をぢかに見ることなくしては捕
らえることが出来ない。ここに一つの品物があるとして、その存在理由の最
後のものは何であろうか。それは品物が有つ美的価値に外ならない。若しこ
の価値が乏しいなら、存在の理由はその本質的な根拠を喪失するであろう。
凡ての問題のうち価値問題は最後の問題である。ここに触れるためには「も
の」はぢかに見届けられねばならない。「もの」を「こと」の問題に止めて
はならない。況んや「もの」を「こと」で解せると思ってはならない。「も
の」を解せずして価値の世界を認識することは出来ない。直観より鋭利な審
判者はない。知識はどこまでも之を合理的に整理する補助の機関である。凡
ての「こと」は「もの」の価値に依存する。如何なる問題にせよ「もの」へ
の洞察が基本とならねばならぬ。それを元にして「こと」への知識を働かす
のが本筋である。
(打ち込み人 K.TANT)
【所載:『工芸』93号 昭和14年2月】
(出典:新装・柳宗悦選集 第8巻『物と美』春秋社 初版1972年)
(EOF)
編集・制作<K.TANT>
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